沿革

 

藤蔭高校は江戸時代、日本の若者たちを教え導いた廣瀬淡窓先生のを思想を基に開かれた学校です

『咸宜園』教育を継承した創立70年の私立高等学校


江戸時代の先哲・広瀬淡窓によって、天領であった豊後国日田郡堀田村
(現大分県日田市)に文化2年(1805年)に創立された全寮制の私塾である。
「咸宜」とは『詩経』から取られた言葉で、「ことごとくよろし」の意味。
塾生の意志や個性を尊重する理念が込められている。。

 

 

 

〜鋭きも鈍きも共に捨て難し 錐と槌とに使い分けなば〜

廣瀬 淡窓(ひろせ たんそう)

天明2年~ 安政3年。江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。
豊後国日田の人。淡窓は号である。通称は寅之助のちに求馬(もとめ)
末弟に廣瀬旭荘、弟・廣瀬久兵衛の子孫に、日田市長衆議院議員だった
廣瀬正雄(初代校長)、その子息の廣瀬勝貞は現大分県知事。

 

 

校歌歌詞

校歌斉唱

        作詞  広瀬 正雄
        作曲  明本 京静

   1. 青き山  四方をめぐり
       三隈川  若鮎おどる
       咸宜園  文化の香り
       そのいさを永久に偲ばん
       あゝあゝ藤蔭校のあるところ

   2. 仰ぎては うまし校訓
       磨かばや 知識と技能
       鍛えばや 心と身体
       なりわいの道を求めて
       あゝあゝ友人よいざつとめなん

   3. 興隆だ  愛する祖国
       繁栄だ  睦まじき世界
       雄飛せん 海の内外
       沸々と情熱たぎり
       あゝあゝ若人よいざいざ行かん

沿 革

昭和25年 5月 6日 日田市中の島町に日田高等経理学校を開校、創立者 佐藤藤義、 生徒数147名
     9月 1日 日田市田島町371番地に移転
  29年 9月 1日 日田商業高等学校開校、 日田市田島町284番地 (現在地) に移転、 理事長 佐藤藤義、
         校長 広瀬正雄就任、 生徒数 358名
  41年10月26日 野球部 第21回国民体育大会 (大分大会) 高校野球 (軟式) 準優勝 (天覧試合)
  50年 4月 1日 普通科設置 (創立25周年記念事業)
  60年 1月 1日 藤蔭高等学校と校名変更 (創立35周年記念事業)
    10月26日 バスケット部第40回国民体育大会(鳥取大会) 少年女子第3位
    10月15日 陸上部 第43回国民体育大会 (京都大会) 少年女子走幅跳 優勝
平成2年 8月10日 第72回全国高等学校野球選手権大会 (甲子園) 出場
  5年 1月16日 新館落成 (創立40周年記念事業)
  7年 3月28日 第67回選抜高校野球大会 (甲子園) 出場
  12年 4月 1日 情報経済科設置 (創立50周年記念事業)
  13年 4月23日 藤蔭50年記念館 〔武道場〕 落成 (創立50周年記念事業)
  19年 4月 1日 通信制課程普通科設置
  21年 4月 1日 普通科保育コース設置
  23年 10月9日 第66回国民体育大会 (山口大会) フェンシング少年男子 優勝
  24年 8月30日 校舎耐震工事終了
  25年10月 6日 第68回国民体育大会(東京大会) フェンシング少年男子準優勝
  27年 8月 8日 全国高等学校総合体育大会 (奈良大会) フェンシング・女子バスケット出場
  28年 2月21日 全国マーチングフェスティバル (神奈川大会) 吹奏楽部出場
  30年 8月   第100回全国高等学校野球選手権記念大会 (甲子園) 出場 (台覧試合)
         全国高等学校総合体育大会(東海大会) 女子バスケット出場 (19回目) 

令和元年8月    第101回全国高等学校野球選手権記念大会 (甲子園) 出場(2年連続) 
   2年10月   全国高等学校陸上競技大会 2020 男子 800M 2位 (大分県高校新記録)
   4年 5月 1日 生徒数 普通科198名 情報経済科158名 通信制38名
         卒業生数 17,569名 (全日制 17,398名 通信制171名)
   5年 4月 1日 校長 吉田 英喜 就任